しんたの話。

ゲームとロボットと未来のことを話します。

仕事と余暇と幸福論。

みなさん、お久しぶりです。ちょっと、家の方でゴタゴタしていたので、書くことが出来ませんでした。たびたび、こういう事が起きるかも知れないので、ご了承下さい。

いつも読んでいる、ブログからこんなトピックがありました。
過労死は「労働災害」じゃなくて「殺人」だ - NZ MoyaSystem
今、ニュースでも取り上げている、長時間労働による痛ましい事件です。
まだ、若いのにやりたい事がいっぱいあったろうにと思います。改めてお悔やみ申し上げます。

このブログを書いてない間、自分は「アランの幸福論(エッセンシャル版ですが)」を読んでいました。
それで、タイトルに入れてみたのですが、今回のトピックで自分なりの幸福論めいた物を書いてみようと思ったのです。

さて、みなさんにとって仕事とは何でしょう?
基本的に生活の糧になるために仕事をするのだと思うのですが、好きな事が仕事が出来れば尚更良いですね。

本来、仕事は楽しいはずなのです。好きな事をしていれば余計そうだと思います。でも、不満は無くならない、むしろ増えていくばかりです。色々と不満要素はあると思いますが、人間関係は大きいと思います。

今回の事件も上司との人間関係も問題になってます。「アランの幸福論」では人とのつながりは奇跡の場であるとも書いてあるのですが、本来は上手い具合につながって循環するのが正しいあり方だと思うのですが、今はなんかズレているのですね。

では、どうやって仕事を楽しくするか、水曜どうでしょうの藤やんは自分で変えるしかないとも言ってますね。自分のやりやすいように変えていく、後は自分が何をやっているかを明確にするなど「腹を割って話した」で語ってました。

頑張ってしまう人は、つい出来ると思ってしまうのですね。ギャバがいっぱいあってもつい「出来ます」などと言ってしまうのです。断れば良いのですが、断ってしまったら二度と仕事が来ない可能性がありますから。

それにお金が反映されれば良いのですが、みなし残業などで、全然反映されない最悪のケースもあります。結果的に頑張っても報われない、賃金が安いまま、そして離職という流れが出来つつあります。しかも、正規雇用が難しいという状況です。

でもね、嘆いても始まらないですよ。相手は自分を映し出す鏡である。「アランの幸福論」でも言ってますが、自分が不機嫌になっていれば、相手も似た反応をしますし。言い当ててるなと思います。自分もそうですが、楽しみを見出すか大事な事です。

それには余暇も大事です。余暇は基本的にフリーなはずなので、徹底的に楽しみを見つけていかなくてはいけません。もちろん、休養も大事でしっかり身体を休めなくてはいけません。
ただ、自分は休みの使い方が上手くありません。かつてラグビーの日本代表コーチを努めたエディ・ジョーンズさんは、日本人はオン・オフが下手だと言っていたのを思い出します。

自分みたいに一度メンタルを壊してしまうと、建て直すのに時間がかかります。これから先、メリハリをつける働き方をしないと今後、厳しいかなと思ってしまいます。
昔は一気呵成に仕上げるのが当たり前だったと思います。またそう言う働き方を推し進めてきた事実があったのは間違いありません。

幸福って何でしょうか?ミニマリストになることでしょうか?
自分は思うのですが、人生をとことん楽しんだ人のような気がします。これも「アランの幸福論」の受け売りですけど。

今の世の中、人生を楽しむゆとりが無いように感じます。もちろん幸福になるためには努力しなくてはいけません。
そのためには、変えていくものがたくさんあるのですが、一番は上の上が変わらないとねって感じもします。