しんたの話。

ゲームとロボットと未来のことを話します。

自由を求めて。

人は自由を求めますね。ゲームでも同じことが言えます。
ファミコンの頃はストーリーが添え物的で、深く考える必要が有りませんでした。RPGなど出てきて少しづつですが、自由を求めるようになってきました。

そう言えば、古いゲームデザインの本でプレイヤーは神であると定義してました。でも、プレイヤーは自由にすると皆、基本的に悪いことをするのですよね。神というより悪魔って感じです。最近だとGTAなんか良い例だと思います。

何で、悪いことをしたがるのでしょうか?普段が抑制されているからでしょうか?
昔、D&Dをやるとき、性格を決めるのですが、だいたいがカオティック(悪い人)なんですね。その次にニュートラル(中立の人)、ローフル(善い人)はなかなか選ぶ人はいません。

日本のゲームの場合、ある程度の役が決まってますね。そして目的も決まっている。海外の場合、これが面白く無いようです。自由が無いのです。一方のGTAは引ったくりや車を盗むなんてザラです。目的はあるようですが、制約はありません。

僕がD&Dでマスターをやるとき、あまりスケールの大きい話は出来ませんでした。色々と理由はありますけど、一番はプレイヤー達はやりたがらなかったのです。理由としては面倒くさい、複雑な話はイヤというのが多かったです。

マスターとしてカオティック一人ぐらいならまだ良いのですけど、集団となると大変です。報酬額を釣り上げたり、平気で依頼を断ったりと何かと気を揉むことが多かったです。それなりに準備はするのですが、予想以上のことをやってのけるのです。

自由を求めるという事は、現状が不自由でやりづらいという事。日本のゲームデザインは優秀だと思うのですが、ストーリーや世界観に引っ張られすぎだと思うことはあります。ドラゴンズドグマやダークソウルなど、海外にも負けない物も出てきてます。

これは今の世の中を反映しているのだと思います。色々とチェックが多く、イライラも募ります。SNSなんかも気軽に出来る半面、気にしなくてはいけない事が多いように感じます。

こういうイライラはメンタルにも良くはないです。既読スルーなら読んでくれたんだぐらいに思わないと返事が来る、来ないというだけでイライラしてしまうのは、勿体無いです。出来るだけ気持ちを切り替える術を持ったほうが良いです。

僕はGTAを批判をする気はありません。むしろ業界に風通しを良くしたと思います。
これから先も自由と規律は今後も問いつづけることになると思います。